5000000000ジンバブエドルを手に入れた ~アフリカ旅行記㉑~
ヴィクトリアフォールを堪能しきった前回 ↓
◆ブラワヨに到着
リビングストンから夜行バスに乗り、朝方ブラワヨの街に到着する。
リビングストンはヴィクトリアフォールを中心とする「豊かな観光都市」だったので、ここからが本当のジンバブエという印象だ。
日本出国までは、ジンバブエについて「貧しい」という印象を持っていた。
というのも、日本で流れる数少ないジンバブエのニュースは、経済状況悪化に伴うハイパーインフレに関する物だったからだ。
当時のニュース画面に映っていた、おびただしい数の0が並ぶ紙幣は視聴者に強烈なインパクトを与えた。
しかし、実はジンバブエは元々はアフリカの中でも豊かな部類に入る国で、経済政策の失敗によって紙幣価値が暴落→インフレという結果になったにすぎない。
現在は経済状況も全盛期ほどではないにしろ、かなり回復してきていて、少なくとも都市部では貧困にあえいでいる様子は見られない。
有名なジンバブエドルもインフレが限界に達して以降は使われておらず、USドルが通貨として使われてきた。
ちなみにジンバブエドルの紙幣は最終的に「1兆」まで発行されたとのこと。
数字にすると1000000000000。もはや0が1つくらい少なくてもバレなさそうだ。
◆ジンバブエドルを手に入れよう
そしてせっかくジンバブエに来たのだから、ジンバブエドルは是非とも手に入れたいところ。
既に流通していないこの紙幣だが、入手自体はそんなに難しくない。
土産物として観光地で普通に売られているからだ。
しかし1枚あたり3~5ドル程度と結構な金額をふっかけてくるし、ただ買うのでは面白くない。
そこでせっかくなので、街の人からジンバブエドルを買うことにした。
他にブラワヨでやることもないし。
「ジンバブエドル持ってない?高額で買うよ!」
街行く人々に声をかけまくって、良い返事をもらえた人とは翌日同じ場所にて落ち合うことを約束する。
ジンバブエでは珍しい日本人が、旧紙幣を求めて声をかけ続ける光景は、さぞ不気味に映ったことだろう。
反応は概ね上々で、翌日家からジンバブエドルを持ってきてくれると約束してくれた。
貨幣としての価値を失って、紙くず同然になっていた紙幣がお金に変わるのだから願ってもない話なのだろう。とても嬉しそうにしながら家に帰っていった。
そして翌日、
約束通りジンバブエドルを持ってきてくれた。
最大で5000000000ジンバブエドル紙幣までが手に入った。
しかも土産として売られている金額の5分の1程度で。
本当はもっとも最大額面の1兆ジンバブエドルを手に入れたかったのだが、贅沢は言えない。
ちなみに紙幣のデザインを考えるのが面倒になったのか、一定の金額以上は全て同じ「グレート・ジンバブエ遺跡」という古代遺跡が描かれている。
USドルでこれの額面100分の1でもあったらなあ。
ヴィクトリアフォール・ザンビア側からジンバブエ側へ ~アフリカ旅行記⑳~
ヴィクトリアフォールに辿り着いた前回 ↓
1.橋を渡ってジンバブエに
想像以上の迫力だったヴィクトリアフォールをザンビア側から堪能した後は、橋を渡ってジンバブエへ。バスでの国境越えは何度かしているが、歩いて国境を渡るのは初めての経験だ。
苦労して辿り着いたけど、さよならサンビア。
ザンビア・ジンバブエ間にかかる橋の手前に建っている、掘っ立て小屋のような入国管理局でザンビアからの出国手続きとジンバブエへの入国手続きを行う。
国境で再びビザ代50ドルを取られながら、無事ジンバブエ入国。
両国間にかかる橋では、バンジージャンプが名物となっている。
ぜひとも挑戦したかったが、長蛇の列&120USドルという高額のため、断念した。
貧乏バックパッカーにとって120ドルの出費は痛い。
入国した瞬間に、ダッチワイフ目立ちまくり・・・
まずはゲストハウスにチェックインして、今度はジンバブエ側のヴィクトリアフォールへ。
ちなみにこの日の宿は
テントだ・・・。
マラリアを持った蚊が入ってくると、やっつけるまで絶対に寝られない。
こういう時だけはアフリカ怖いなと思う。
翌朝、ヴィクトリアフォールのジンバブエ側に入場。
水量がとにかく激しく迫力満点だったザンビア側と比べて、雄大な自然を感じられるジンバブエ側。
どちらも甲乙つけがたい素晴らしさだった。
ヴィクトリアフォールで会った女性。一人旅でハラレから来ているそう。アフリカにおいて女性が一人で旅できるのは、相当に裕福な証拠だ。さすがは一大観光地。
2.リビングストンは物価が高い
ヴィクトリアフォールの玄関口、ここリビングストンは観光に特化した街だ。
行き交う人の一定数は観光客(しかもだいたい裕福)だし、住んでいる人も観光客を相手にしたホテルやレストランが多い。
物価も観光プライスなので、かなり高い。この周辺に至ってはアフリカということを忘れてしまうほどだ。
レストランは安くても20USドルほどとお財布に優しくないので、食事は基本的にスーパーでお惣菜を買う。貧しい。
この物価で何日も滞在するのは辛い。
ヴィクトリアフォールを堪能した後は早々にリビングストンから離れて、ブラワヨの街へと向かう。
世界三大瀑布・ヴィクトリアフォールへ ~アフリカ旅行記⑲~
↓ タンザン鉄道の長旅を終え、ようやくザンビアに到着した前回
1.ザンビアの滞在日数わずか2日
朝に出発して、到着は夕方に。
タンザニアを出発して丸3日間を費やしてようやく辿り着いたザンビアだが、翌日には隣国・ジンバブエへと渡る。
というのも、ザンビアにはめぼしいスポットが1つしかないからだ。
ナイアガラの滝・イグアスの滝と並んで「世界三大瀑布」に数えられる、
ヴィクトリアフォール
ザンビア唯一にして、最大の観光スポットだ。
ザンビアと隣国ジンバブエにまたがる巨大な滝、ヴィクトリアフォールを観覧した後はそのままジンバブエにわたる予定になっている。
渡航に費やした日数3日・滞在2日
翌日はヴィクトリアフォールに渡るので、今晩はルサカに1泊する。
お洒落なレストランも併設されている上にプールまでついたゲストハウスが、15USドル。まるで楽園だ。
なにより久々に落ち着いた環境で眠れるのが、この上なく嬉しい。
2.ヴィクトリアフォールへ
翌朝、ルサカを出発してヴィクトリアフォールがある、リビングストンへ出発する。
10人乗りのバンで、6時間ほどの行程だ。
移動&移動&移動
バンは常時120キロを超える、すさまじいスピードで道を疾走。
ひびが入ったフロントガラスが恐怖にかきたてる。
リビングストンはアフリカらしい雑踏とは無縁の、穏やかな街並みが特長。さすがは世界中から人が訪れるヴィクトリアフォールの玄関口といったところか。
車には箱乗りしてるけど。
セブンイレブンも発見。しかし酒しか売ってない。
3.ヴィクトリアフォールに到着
リビングストンの街からバスでしばらくいくと、いよいよお目当てのヴィクトリアフォールが見えてくる。
あまりの水量に、しぶきでまともに撮影ができない。
すごすぎて、すごいという小学生以下の感想しか出てこない。
自分のボキャブラリーのなさが悲しくなってくる。
天気は快晴にもかかわらず、舞い上がったしぶきが豪雨のように降り注ぐ。
ダッチワイフはここでも大活躍!
ザンビアに来るまで本当に大変だったけど、ここは苦労してでも来る価値がある。
まあ、普通の人はタンザン鉄道ではなく、ヨーロッパ経由して飛行機で直接来るので肉体的苦痛なく来られるのだが
次回は、ヴィクトリアフォールにかかる橋を渡って、ジンバブエに。
乗車時間48時間⇒72時間!ザンビアに到着 ~アフリカ旅行記⑱~
タンザン鉄道にひたすら揺られ続けた前回
1.列車内で入国審査
タンザン鉄道乗車後3度目の夜が明けた。
前夜は非常に寝苦しかった。
客室内にはエアコンがないが、夜に窓を開けると蚊が入り込んでくる。そしてアフリカの蚊、特に夜間に動く蚊はマラリアを持っている可能性が非常に高いので、どんなに暑くても絶対に窓を開けるわけにいかなかったのだ。
入国審査は車内で行われる。
入国管理官のお姉さんからのの質問(観光の目的など)に答え、ビザ申請用紙に必要事項を書き込む。
記入後はビザ代50ドルを支払う。
東アフリカはどの国に行っても、50ドル前後のビザ代をとられる。高すぎ。
陸路国境はアジアなどでも経験したが電車内というのは初めてだったので、写真を撮ったところ・・・
怒られた・・・
入国審査中は写真を撮ってはいけなかったらしい。
乗車前に警察から怒られたのに続いて、乗車中も怒られるとは。
ちょっと怒られた以外には特段の問題もなく、無事ザンビア入国。
車内をうろついていた闇両替商にお願いして、タンザニア通貨・シリン
韓国人のおっちゃんに貰ったお金、本当にありがたい。
2. ザンビアのニューカピリムポシに到着
国境通過からさらに数時間、列車はようやくザンビアの「ニュー・カピリムポシ」に到着する。
72時間におよぶ、尻と腰に多大な負担を強いた長い汽車旅が終わりを告げた瞬間だった。
予定時間は48時間だったのに、まさか丸一日も遅延するとは。
車体が古いことや、中国製のため故障の連続だったことがここまでの遅延に繋がったのだそう。
中国はアフリカ諸国で電車以外にも、道路や水道といったインフラを構築してきたがいずれも破損ばかりだ。
世界に「安かろう悪かろう」の粗悪品をバラまくのは勘弁してほしい。
3.ザンビアの首都・ルサカへ
ニュー・カピリムポシ駅の周辺には本当になにもない。
両替商もいないので、韓国人のおっちゃんからお金を恵んでもらっていなかったらバスにも乗れないところだった・・・
ここからさらに数十キロ南下して、首都の「ルサカ」に向かうことになる。72時間の汽車旅が終わったら今度は車移動だ。本格的に尻が痛い。
群がるタクシー運転手からの勧誘を断り、5分の1程度の運賃でルサカまで行けるローカルバス乗り場へ。
乗せられるだけ人を乗せて発進する。過積載などおかまいなしだ。
バックパックを置くスペースなどないので、ヒザの上に置く。10キロ近い荷物が膝を圧迫し続けるのは、なかなかの苦行だった。
そしてGPSで場所を見ていても、なかなか先に進まない。
アフリカに限らず途上国におけるメインの交通手段はバスだ。そしてこのバスは停留所を巡るのではなく、「乗りたいところで止めて降りたいところ降りる」という乗合タクシーのようなシステムになっている。
動いては停まるを繰り返すことになるので、わずかな距離を進むのに膨大な時間がかかるのだ。
足の血管は発進・停車を繰り返すたびに、限界へと近づいていく・・・
夕方ごろ、バスはようやく首都のルサカに到着する。
やっと列車旅が終わって一息つけると油断した後の長時間バスはなかなかに辛かった・・・
ロッテも参考にしてほしいラミゴの応援スタイル
↓ 以前台湾まで観に行ったラミゴモンキーズの試合
ロッテに入団するものとばかり思っていたワン・ボーロンが日本ハムに入ることになっていまだへこんでいる。
わざわざ彼を観るためだけに台湾まで足を運んだのに・・・。
まあハムに入っても応援するのでロッテ戦以外で頑張ってほしい。
Yahooの記事で読んだが、やはり彼が応援団長だったのか。
しかも球団が正社員で雇っているという。まあ私設応援団で飛行機パフォーマンスなんて出来るはずもないか。
ラミゴと友好関係を結んでいる我らがマリーンズも、かつては伝説の応援団長・ジントシオ氏をロッテの職員として雇い入れていたが、今は楽天へと去られてしまった。
それ以来、今一つ応援団と外野のファンが一体になれていない気がしている。
今一度、球団が音頭をとってかつてのように、他球団のファンからも評判となった応援を復活させてほしい。
ゴミとお宝 ~アフリカ旅行記⑰~
1.線路は続くよどこまでも
予定乗車時間の48時間をとうに過ぎても、のんびりと進むタンザン鉄道。
一晩明けてどの程度進んだのかと思ったら、ずっと修理していて全く進んでいなかったりするから笑えてくる。
インドでも電車の遅延は日常茶飯事で10時間を超える遅延も多かったが、自分が乗った電車でここまで遅れたのははじめてだ。
日本のスケジュール管理ってすごいんだなあとしみじみ思う。
お腹が満たされていると、多少(多大)の遅れも笑って許せるようになる。
窓からゾウさんやキリンさんが見えたこともあったようだが、そういう時に限ってよそ見していたり居眠りしていたりしたのが本当に悔やまれる。
2.ゴミの分別、そんな文化はない!
「ゴミは分別してゴミ箱へ」
日本では当たり前のことだが、ここにはそんな文化はない。
バナナの皮、ペットボトル、紙くず──車内で出たゴミを、乗客たちはなんの躊躇もなく窓から放り投げる。
せめて我々だけでもとゴミ箱に入れたのだが、あろうことか清掃のおばちゃんがゴミ箱のゴミをまとめて窓から捨てる始末だ。
「限られた地球資源を大切に」
たった1億人の日本人がエコに取り組んだところで、12億人のアフリカ人たちがこんな様子では焼け石に水としか言えない。
しかし後に、窓からゴミを捨てることは、「すべてが無駄ではない」ということに気付かされる。
窓から外を見ると、アフリカの子供たちが手を振っているが、彼らは我々に手を振り返してほしいのではない。彼らが求める物は、
ゴミだ。
廃棄されたペットボトルは水を汲むのに使えるし、バナナの皮は燃料にもなる。
ゴミは貧しい少年たちにとって「ゴミ」ではなく、「お宝」なのだ。
清掃員がゴミを窓から捨てているのは、ある種人助けのため(めんどくさがってそうしている面も)でもあるということか。
窓からペットボトルなど投げ捨てると、彼らは即座に反応して奪い合うように拾いに行く。
それを見て笑う、乗客たち。まるで池の鯉に餌をやっている人のような顔をしている。
アフリカで広がる貧富の差を目の当たりにした。
そんなちょっと複雑な感情を抱きながら、列車はいよいよザンビアの国境へと到達する。
タンザン鉄道、1700キロ48時間の旅 ~アフリカ旅行記⑯~
まさかのタンザニア官僚とお食事した前回 ↓
1.警察に怒られた!タンザン鉄道出発前
↑ ダルエスサラームの駅
列車到着まで時間があったので、出発前に駅でコンドームを配布することに。
呼び込み嬢のしずかちゃんと一緒に配ろうとした矢先、
「ここで何をしている!」
警察に怒られた。
駅で許可なく活動するのはご法度だったようだ。1人にも配れずにわずか3分で強制終了となった。
在職中はよく上司に怒られたが、遠いアフリカの地でも怒られるとは・・・
そうしている内に乗車予定の列車が駅に到着する。まさかのオンタイム到着に少々驚いた。というのも、アフリカ人は時間にルーズな上に、タンザン鉄道は車体が古くて故障ばかりと聞いていたからだ。
我々が乗り込んだのは1等車だが、最高ランクの部屋とは思えないほどみすぼらしい。
待合室に続いて、部屋のコンセントには電気が通っておらず、シャワーも水しか出ない。
タンザニアのダルエスサラームから、ザンビアのニューカピリムボシまでの約1700キロ、所要時間なんと48時間をこの中で過ごすと思うと、なかなか過酷だ。
そこそこの不安をよそに、列車はダルエスサラーム駅を後にする。
2.極貧に苦しむ列車旅
乗車中は、とにかく金欠で苦しんだ。
出発前にタンザニアの通貨、シリングを出発までにほとんど使いきってしまったからだ。
タンザニアシリングをザンビアの通貨、クワチャに両替することもできるのだがレートが非常に悪い。ATMでおろすほどでもなかったし、USドルを車内で両替してくれるのではという淡い期待も抱きながら乗車してしまったのだ。
結果、食堂車で食事をすることはもちろん、駅に停車するたびにやってくる売り子からバナナを買うことすらできなかった。
残されたのは、わずかな水ともしもの時に備えておいた食パンと菓子のみ。
貧しい。貧しすぎる・・・
「アフリカ=貧困」という出発前に抱いていたイメージを、自ら体現する羽目になるとは。
3.列車遅延につき・・・
定刻通りに出発して、定刻通りに到着する──そんな日本の当たり前がいかに素晴らしいく尊いものか実感させてくれる。アフリカに来てよかったと思うことの1つだ。
48時間のはずだった乗車時間だが、予定時間を過ぎても一向に到着する気配がない。
遅れに遅れて、最終的に72時間。丸3日も乗ることになろうとは…。
金欠による食料と水が、さらに重くのしかかる。精神的にも辛くなってきた。
しかし、そんな我々を見て乗客の中で数少ないアジア人だった、韓国人のおじさんが救いの手を差し伸べてくれた。
「フレンド!これでも食べなよ」
ニコニコと仏のような笑顔を浮かべながら、数枚のビスケットを分けてくれた。ぱさぱさのビスケットがここまでうまく感じられたのは、生まれて初めて。夢中になってかぶりついた。
そして、おじさんの施しはさらに続く。
「これでおいしいものでも食べなよ」
なんと食事代まで恵んでくれたのだ。
食堂車で食べたチキンとライスは、どんなご馳走よりおいしかった。
ありがとうおっちゃん!
日本のニュースでは韓国人の悪い面ばかりフォーカスされて、自然と嫌いになるように仕向けられているような気すらするけど、韓国旅行時に会った人たちは親切な人ばかりだったし、知り合いの在日韓国人もみんないい人だ。
逆にステレオタイプな半日韓国人にも一度会ってみたい。