大学で登壇させて頂きました
「ホワイト企業辞めて旅に出たら人生が変わった」
という少々大げさなものを掲げました。
要は「生き方は色々あるから一つの価値観に縛られないほうがいいですよ」ということです。
アフリカでコンドームを配ろう
スケジュール確認不足によって 、わずか1種類の予防接種でアフリカに向かうことになってしまう。
前回 ↓
現地で犬に噛まれようものなら、即座に狂犬病と破傷風のリスクが付きまとうわけで恐ろしいことこの上ない。ケガ一つしてはいけないという、縛りプレイが確定してしまった瞬間である。
◆航空券を確保
予防接種も完了し(してない)、次は航空券の確保だ。
いつも航空券を確保するスカイスキャナーで調べたところ、
3月出発の成田→カイロ(エジプト)の航空券が7万円ほどだった。大学生の春休みとぶつかる時期だったので価格の高騰が心配されたが、学生でエジプトやアフリカに行く人はほとんどいないせいかすごく価格が上がるようなことはなかったようだ。
これがタイやニューヨークのような人気スポットだと、繁盛期は閑散期の2倍や3倍というのもざらである。
◆アフリカ行くからボランティア
さて、航空券まで確定してアフリカに行くことは完全に決まったものの、依然として「アフリカに行って何をするのか」というもっとも大切なことが決まっていなかった。
・エジプトでピラミッド観光
・タンザニアでサファリ
・ジンバブエでジンバブエドル(桁数がとんでもないやつ)ゲット
・ザンビアでヴィクトリアフォール(世界3大滝)に行く
せいぜい決まってたのはこのくらいだった。
全部併せても7日もあれば十分そうだし、途中が本当に暇そうだ。
そこで何をとち狂ったのか、唐突に思いついた。
「そうだ、アフリカでコンドームを配ろう」
アフリカといえばボランティア→アフリカといえばHIV→防止キャンペーンとしてコンドーム配ろうという
小学生レベルの短絡的な発想。手段と目的が完全に逆だ。
それまで一度もボランティアに興味を持ったことがない自分がまさかアフリカでボランティアをすることになるとは思いもしなかった。
奉仕精神を持って本気でボランティアに取り組んでいる人から見れば失礼な話だろう。まあ実際にアフリカの人たちの為になることをするので問題あるまい。
◆大手コンドームメーカー様より頂いた500個のコンドーム
早速コンドームの調達だ。
某大手メーカーO社のHPにアクセスし、カスタマー用のお問い合わせフォームにボランティアの為にコンドームを頂きたい旨を記入し送信した。
そして翌日には早くも返信が来たのだが、これには正直びっくりした。
お問い合わせフォームは商品の意見やクレームなどを受け付けるのを主目的としているだろうと思っていたからだ。想定外の問い合わせがきたら上司に相談&方針検討でしばらくは時間がかかると思っていた。さすがはグローバル企業のスピード感。
返信は極めて好意的な内容で、一度企画書を送ってほしいとのことだった。早速会社員時代以来となる企画書作りに取り組む。アフリカでHIV防止キャンペーンとしてコンドーム配りをしたいので、貴社から製品提供をお願いしたいという旨をA4一枚にまとめて送る。
そして2日後、無事提供して頂ける運びとなり、大量のコンドームが送られてくる。
しかも先方で実施している防止キャンペーン用のゴムバンドまで。
本当にありがとうございました。
これでアフリカ旅行に向けて最後のピースも整った。
最弱装備でアフリカへ 東アフリカ旅行記③
◆アフリカは予防接種から
「病気」
アフリカと聞いて多くの日本人がまず想像する単語ではないか。
劣悪な衛生環境、マラリアを運ぶ蚊、(日本と比べれば)十分でない医療環境・・・
まず数々の予防接種を受けることからアフリカ旅行は始まる。
今まで数多くの世界一周経験者と知り合ってきたが、アフリカを避ける人が7割以上だった。ヨーロッパや南米と比べて見どころがそう多くなく、航空券も高い、さらには多くの予防接種を受けなければならないとなると敬遠されるのも頷ける。
◆まさかの予防接種1種類で挑むことに
アフリカで必要な予防接種は多岐にわたる。
・黄熱病
・A型肝炎
・狂犬病
・破傷風
・腸チフス
・マラリア ※予防薬
これだけの注射を打つには時間もかかるし一発10000円ほどという高額な費用もかかる。
自分が会社員だったらこの手間だけでも、アフリカ行きを考え直したくなるところだ。
さて、出発まで時間もないので急ピッチで予約を入れようと思ったのだが、そこで驚愕の事実が発覚。
なんと複数種類の予防接種は同時に受けられないのだという。しかも一度受けたら、次の予防接種までは1週間以上空けなければならないそうだ。完全なリサーチ不足で先が思いやられる。
正直焦った。とりあえず黄熱病だけは受けないとアフリカ諸国には入国できないので優先的に予約する。
また、A型肝炎にはインドから帰国した際に感染して完治した経験があるので、抗体があるので不要だった。あとは破傷風くらいは受けておこうと思ったのだが、注射には病院によって受けられる日が決まっている上に在庫がないということも多々ある。結局狂犬病も腸チフスも受けることが出来ず、黄熱病の注射とマラリア予防薬の処方を受けただけでアフリカに旅立つことになってしまったのである。
もはやラスボスにピストル一丁だけで挑むような気分だった。
逆に言えばインドに関しては一切予防接種を打たずに行ったわけで、無知とは怖いものだ。
アフリカに行きたいという人にはそうそう出会わないが、インドに行きたい人に出会うことは多い。そういう人たちには予防接種を含め、早めの準備がいかに大切かを訴えることにしよう。
アフリカってどこだ? 東アフリカ旅行記②
◆アフリカ行きは決まったものの・・・
「とりあえずアフリカ行こう」
ゴールデン街で飲みながら決まったアフリカ(ついでに南米)行き。しかし、肝心なことを決めていなかった。
アフリカのどこに行くかということを
「なんとなくサファリに行きたい」「現地の食事や生活を体験したい」程度しかアフリカでやりたいことが決まっていない有様。
そもそもアフリカの国名もタンザニアやケニア、南アフリカ程度しか知らない。
まずはアフリカ大陸の国名を知ることから準備が始まった。
◆旅人が集うバー、高円寺「Smile Earth」
情報収集にはインターネットだけでなく、実際に行った人の話を聞くことでより興味が深まる。ただし、アフリカに行った人間などそうそう見つかるはずもない。
そこで頼ったのが、以前から何度か訪れていた旅人が集まる高円寺のバー、「Smile Earth」
高円寺の近隣住民はもちろんのこと、北は北海道南は沖縄までさまざまな旅人が訪れるこの店。その日はアフリカ経験者はいなかったものの、店長から後日紹介してもらえることに。
◆エジプト㏌南アフリカoutルートに決定
そして翌週、約束通り店でアフリカに関する情報を提供してくれたのは、20代前半の青年。既に世界一周を達成しており、アフリカはエチオピア→ケニア→タンザニア→ザンビア→ボツワナ→ジンバブエ→南アフリカというルートを陸路で巡ったとのこと。
そのまま同じルートを踏襲してもよかったが、日本で5月に予定があったので3月に出発して2か月間でアフリカ&南米を巡る必要がある。よって、アフリカにかけられる期間は1か月程度となった。
そしてアフリカのバスは時間も不確定なため、時間が限定されているこの度では最小限に抑えることに。
そして検討を重ねた結果、ルートは決まった。
1.エジプト(エチオピアでトランジット1日)でピラミッド鑑賞
2.タンザニアでサファリに参加した後、鉄道でザンビアへ
3.ザンビア、ジンバブエでヴィクトリアフォールを観る
4.南アフリカから南米へ
エチオピアはわずか1日、ケニアには行けないというルートになってしまったがいたしかたない。
次回は予防接種やビザの話を。
旅行先にアフリカを選んだ理由 東アフリカ旅行記①
◆ゴールデン街で決まったアフリカ行き
「そうだ、アフリカ行こう」
2016年1月、まるで近所の遊園地に行くかのようなノリでアフリカ行きが決まった。
先輩が隔週で店長をやっている新宿・ゴールデン街で飲んでいるときに、「アフリカ行きたいよな」という話になり、「じゃあ行っちゃおう」というあまりに簡単なノリでアフリカ行きという重大な決断がなされたのだ。
ちなみに一緒にアフリカ(その後の南米も)へ行った先輩は学内でも奇人・変人として有名な人で、卒業後も奇抜なイベントを定期的に開いてネットニュースにも取り上げられるような人だったのでアフリカ行きに一切の恐れは抱いていなかった。
一方の自分はというと、数年前までベトナムやタイなどの東南アジアすら恐れていたほどのビビり。アフリカなんてテレビの中でだけ見る未開の地だと思っていたし、「病気」「治安」その他諸々不安が多すぎて永遠に行くことがない場所だと思っていた。
◆怖がったまま人生を終えるのはもったいない
ただし怖がりだったものの、テレビや本などからの断片的な思い込みだけで恐怖を抱いたままで人生を終えるのはもったいない。自分の目で見て怖いところなのかそうでもなかったのかを判断したい。そんな思いからか恐怖は徐々に興味へと変わっていき、最後には酔ったノリもあってアフリカ行きを決めてしまった。今思うとだいぶ気が狂っていたのだと思う。
次回はアフリカ旅行の準備について
「ニート」が幸せ?に暮らせる国キューバ
キューバ・カストロ議長の退任
キューバの社会主義を先導してきた、ラウル・カストロ議長が退任するというニュースを見て一抹の寂しさを覚えた。キューバには2016年5月に世界一周旅行の最後に訪れたのだが、50年も前のクラシックカーが町中をビュンビュン走るあのレトロな感じがなくなってしまうのだろうか。
みんなが幸せ?になる社会主義
社会主義国家をざっくり表現すると、国民が等しく平等な国家ということになる。
利潤追求を肯定する=貧富の差を肯定する、資本主義とは対極にある。
「みんなが平等」
そうなればまるで理想郷のように聞こえるが、現実はそううまくはいかない。
まず最初の壁は「税収」だ。社会主義国家では、働き者は多くの税金を徴収され、逆に働かない者にも等しく配分される。
稼いでいる人間からすれば不平等だと感じて労働意欲が低下し、「働くのが馬鹿らしい」と考える人間が増えてくるのも当然の話だ。税収が下がれば国民全体を幸せにするための原資がなくなり、社会主義は根幹から成り立たなくなっていく。
そして次の壁は集めた税金を等しく「配分」する際に立ちはだかる。国民に等しく富を配分する役割を担うのは役人が、税金を懐に入れて私腹を肥やしてしまうのだ。
結局、「集める」「配る」両面から社会主義は成り立たなくなり成功した例はほとんどない。中国やベトナムも社会主義を標榜してはいるものの、実際のところは日本もびっくりの資本主義経済を形成している。
社会主義が絶妙なバランスで成り立つ国、キューバ
そんな単なる理想論となりつつあった社会主義を唯一成功させたキューバ。成功した要因は「適度な規模」、そして「カストロ議長」の存在だった。
人口わずか1000万人程度という集めた税金を配りきれる規模。そして私腹を肥やすことなく自らも質素な生活を送り、国民に富を配分するカストロ議長という理想的な指導者の存在。奇跡的に揃ったこの2つの要素が、キューバの社会主義を絶妙なバランスで成り立たせているのだ。
ぼったくり・悪い奴がほとんどいない!
では実際、キューバで暮らす人は本当に幸せなのか?
私が2016年に行って感じた限りでは、その答えは「YES」とも言えるし「NO」とも言える。東南アジアや中南米などの発展途上国を旅していると、タクシーやレストラン、土産物屋などで相場よりも遥かに高額な価格を提示される「ボッタくり」に直面することも多い。
ところがキューバではそのようなことはほとんどなく、店の商品や交通機関は適正価格。道行く人もとにかく親切な人が多かった。これがインドだったら物の値段なんてあってないようなものだし、頼んでもいないのに勝手に(断っても)道案内や観光案内をした挙句金を請求する輩が横行しているところだ。
治安もいい。夜に首都・ハバナの町を歩いても誰かが襲ってきそうな気配は一切ないし、他の旅人からの情報でも、強盗などの危険な目に遭ったという話は聞いたことがない。
それは国民の98%が「公務員」という立場であり、たとえ実態が「ニート」であっても国から給料が支払われるキューバでは、ボッタくりや強盗におよばなくても最低限の暮らしが成り立つからではないかと思う。あるレストランでは、100円のコーラを100円で出していたことすらあったほど。商売気なさすぎでは。
街では多くの大人が(おそらく)働きもせず昼間からラム酒を飲み、歌や踊りに興じている。まさに「働いたら負け」の主張を持つ人間にとっては理想郷だろう。
稼ぐ人には厳しい国
逆に、働き者にとって不平等なのが社会主義というもの。給料のほとんどが税金として持っていかれることを不満に思う人間は当然いるはず。事実、ソフトバンクホークスに所属するキューバ人選手、アルフレド・デスパイネ選手は推定年俸4億円の内、8000万円程度しか手元には残らずに残りはキューバ政府へと渡っているそうだ。
当然、不満を持つ選手は少なくなかった。ユリエスキ・グリエル(現MLB・アストロズ、元ベイスターズ)を始めとするキューバの有力選手たちは相次いで亡命し、10億円以上の高額な年俸を手にしている。
上記は極端な例だとしても、一般市民の中にはもっと働いて豊かになりたいという思いを持つ者が現れたとしてもなんら不思議ではない。インターネットが発達した現代では思想統制にも限界がある。
徐々に変革の足音が
アメリカと国交を断絶してからは、両国間の直通便はストップしたままだったのだが、私が訪れた2016年にはついにマイアミ・ハバナ間の直通便が復活していた。アメリカの大統領がトランプ氏になって両国の関係は若干後退したものの、国交回復はそう遠くない未来なのではないかと言われている。
資本主義が蔓延することで大らかなキューバらしい風土がなくなり、「アメリカの51番目の州」のようになってしまう日が来てしまうのか。今後の動向に引き続き注目していきたい。
英語ダメでもOK。アジアで必要とされる日本人
◆ホーチミンで中心街、日本人経営のカフェへ
滞在中に、友人の紹介でホーチミンでカフェを開いている方にお会いしてきた。
市内中心街のサイゴン川寄りに位置する、そのカフェの名は「サムライカフェ・サイゴン」。
店内に足を踏み入れると、本棚に日本語のガイドブックや小説、漫画などが所狭しと並べられており、学生と思われる現地雇用のベトナム人スタッフが愛想よく応対してくれた。ここに来る際に迷ったときもコンビニで働いている若い女の子に道を聞いたのだが、その子もとても親切に応対してくれた。ベトナム人は働き者で親日というイメージだ。
席について数分ほどするとカフェの店主が登場。30代前半の見るからに頭がよさそうな男性で、カフェを経営しながらクラウドでWEB制作などの仕事を請け負ったり、生計を立てているそう。また、ベトナムで働きたい日本人向けの就職支援サイトの運営も手掛けるなど、非常に手広い。場所を選ばずに働けるノマドライフを体現しているような方で、ベトナム人スタッフが淹れてくれた本場のベトナムコーヒーを頂きながら、仕事のお話から日々猛烈な勢いで発展を続けていくベトナムの様子まで、貴重なお話を聞かせて戴いた。
次回ベトナムを訪れたら再び来店したかったが、残念ながらお店は2017年8月をもって休業となってしまったそうで、非常に残念。お店は繁盛していたようなので、経営不振というのは考えづらく、店主が何か新しい事業に携わるようになったのかもしれない。
Samurai Cafe Saigon(サムライカフェサイゴン)
◆英語ダメでも海外で働ける
「海外で働く」
大学で必修英語の単位を落とすレベルの自分にとって、それは遠い次元の話だと思っていた。
ところが近年は、英語力不足など問題でないほどベトナム、そしてアジア全体で日本人の需要は高まっているとのこと。
たとえば日本人駐在員向けの、日本食レストランだ。英語やベトナム語が喋れることは必須ではなく、日本語だけで大丈夫というだけでも驚いたが、なんと料理の経験も必要ないという。
言葉に関しては通訳がつくし、料理は専門の料理人がいる。では、一体何を求められるか。それは日本人としての「おもてなし」の心だ。細やかな接客態度や、挨拶など日本人がどうすれば満足するかのかをベトナム人スタッフに教え込むのが、主な仕事となる。そういえば上述のカフェでも、スタッフはとても愛想が良くまじめではあったが、いきなり散歩に出かけてしまって店主がビックリしているというシーンがあった。「業務時間中は勝手に出歩いてはいけない」日本では言うまでもない常識だが、海外では通じない。スタッフには、そういった文化の違いから教育しなければならないのだろうし、日本人が求められるのもうなずける。
もちろん日本人が求められているのは飲食だけではなく、建設業やメーカーなど様々な業種で日本人の現地雇用者は必要とされている。自社の社員を海外駐在させる場合、住居の手配から危険手当の交付など多額の費用がかかるが、現地スタッフであれば給与面も抑えられる上に、現地事情にも通じている。うまくその企業の事業にマッチした人材がいれば、企業にとってはメリットだらけというわけだ。
当然、年齢や職歴によっても左右されるが、日本人がアジアで求められる状況は今後も続いていくと考えていいだろう。私は暑いのが苦手なのと野球がない環境では生きられないので、日本で暮らすことにしたが、日本に息苦しさを感じている人がいたら「海外で働く」という選択肢もあることを伝えていきたい。
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