ゴミとお宝 ~アフリカ旅行記⑰~
1.線路は続くよどこまでも
予定乗車時間の48時間をとうに過ぎても、のんびりと進むタンザン鉄道。
一晩明けてどの程度進んだのかと思ったら、ずっと修理していて全く進んでいなかったりするから笑えてくる。
インドでも電車の遅延は日常茶飯事で10時間を超える遅延も多かったが、自分が乗った電車でここまで遅れたのははじめてだ。
日本のスケジュール管理ってすごいんだなあとしみじみ思う。
お腹が満たされていると、多少(多大)の遅れも笑って許せるようになる。
窓からゾウさんやキリンさんが見えたこともあったようだが、そういう時に限ってよそ見していたり居眠りしていたりしたのが本当に悔やまれる。
2.ゴミの分別、そんな文化はない!
「ゴミは分別してゴミ箱へ」
日本では当たり前のことだが、ここにはそんな文化はない。
バナナの皮、ペットボトル、紙くず──車内で出たゴミを、乗客たちはなんの躊躇もなく窓から放り投げる。
せめて我々だけでもとゴミ箱に入れたのだが、あろうことか清掃のおばちゃんがゴミ箱のゴミをまとめて窓から捨てる始末だ。
「限られた地球資源を大切に」
たった1億人の日本人がエコに取り組んだところで、12億人のアフリカ人たちがこんな様子では焼け石に水としか言えない。
しかし後に、窓からゴミを捨てることは、「すべてが無駄ではない」ということに気付かされる。
窓から外を見ると、アフリカの子供たちが手を振っているが、彼らは我々に手を振り返してほしいのではない。彼らが求める物は、
ゴミだ。
廃棄されたペットボトルは水を汲むのに使えるし、バナナの皮は燃料にもなる。
ゴミは貧しい少年たちにとって「ゴミ」ではなく、「お宝」なのだ。
清掃員がゴミを窓から捨てているのは、ある種人助けのため(めんどくさがってそうしている面も)でもあるということか。
窓からペットボトルなど投げ捨てると、彼らは即座に反応して奪い合うように拾いに行く。
それを見て笑う、乗客たち。まるで池の鯉に餌をやっている人のような顔をしている。
アフリカで広がる貧富の差を目の当たりにした。
そんなちょっと複雑な感情を抱きながら、列車はいよいよザンビアの国境へと到達する。
タンザン鉄道、1700キロ48時間の旅 ~アフリカ旅行記⑯~
まさかのタンザニア官僚とお食事した前回 ↓
1.警察に怒られた!タンザン鉄道出発前
↑ ダルエスサラームの駅
列車到着まで時間があったので、出発前に駅でコンドームを配布することに。
呼び込み嬢のしずかちゃんと一緒に配ろうとした矢先、
「ここで何をしている!」
警察に怒られた。
駅で許可なく活動するのはご法度だったようだ。1人にも配れずにわずか3分で強制終了となった。
在職中はよく上司に怒られたが、遠いアフリカの地でも怒られるとは・・・
そうしている内に乗車予定の列車が駅に到着する。まさかのオンタイム到着に少々驚いた。というのも、アフリカ人は時間にルーズな上に、タンザン鉄道は車体が古くて故障ばかりと聞いていたからだ。
我々が乗り込んだのは1等車だが、最高ランクの部屋とは思えないほどみすぼらしい。
待合室に続いて、部屋のコンセントには電気が通っておらず、シャワーも水しか出ない。
タンザニアのダルエスサラームから、ザンビアのニューカピリムボシまでの約1700キロ、所要時間なんと48時間をこの中で過ごすと思うと、なかなか過酷だ。
そこそこの不安をよそに、列車はダルエスサラーム駅を後にする。
2.極貧に苦しむ列車旅
乗車中は、とにかく金欠で苦しんだ。
出発前にタンザニアの通貨、シリングを出発までにほとんど使いきってしまったからだ。
タンザニアシリングをザンビアの通貨、クワチャに両替することもできるのだがレートが非常に悪い。ATMでおろすほどでもなかったし、USドルを車内で両替してくれるのではという淡い期待も抱きながら乗車してしまったのだ。
結果、食堂車で食事をすることはもちろん、駅に停車するたびにやってくる売り子からバナナを買うことすらできなかった。
残されたのは、わずかな水ともしもの時に備えておいた食パンと菓子のみ。
貧しい。貧しすぎる・・・
「アフリカ=貧困」という出発前に抱いていたイメージを、自ら体現する羽目になるとは。
3.列車遅延につき・・・
定刻通りに出発して、定刻通りに到着する──そんな日本の当たり前がいかに素晴らしいく尊いものか実感させてくれる。アフリカに来てよかったと思うことの1つだ。
48時間のはずだった乗車時間だが、予定時間を過ぎても一向に到着する気配がない。
遅れに遅れて、最終的に72時間。丸3日も乗ることになろうとは…。
金欠による食料と水が、さらに重くのしかかる。精神的にも辛くなってきた。
しかし、そんな我々を見て乗客の中で数少ないアジア人だった、韓国人のおじさんが救いの手を差し伸べてくれた。
「フレンド!これでも食べなよ」
ニコニコと仏のような笑顔を浮かべながら、数枚のビスケットを分けてくれた。ぱさぱさのビスケットがここまでうまく感じられたのは、生まれて初めて。夢中になってかぶりついた。
そして、おじさんの施しはさらに続く。
「これでおいしいものでも食べなよ」
なんと食事代まで恵んでくれたのだ。
食堂車で食べたチキンとライスは、どんなご馳走よりおいしかった。
ありがとうおっちゃん!
日本のニュースでは韓国人の悪い面ばかりフォーカスされて、自然と嫌いになるように仕向けられているような気すらするけど、韓国旅行時に会った人たちは親切な人ばかりだったし、知り合いの在日韓国人もみんないい人だ。
逆にステレオタイプな半日韓国人にも一度会ってみたい。
元ロッテ・カスティーヨ死亡。ベネズエラの治安は最悪
1.ベネズエラの治安は中南米の中でも悪い方
元・ロッテのホセ・カスティーヨが母国のベネズエラで、乗車していた車が落石事故に巻き込まれて死亡した。
単なる不運な事故かと思ったら、実は人為的なものだった。岩で車を止めて、金品を強奪した強盗殺人事件だったという。
中南米の中でも治安が悪いベネズエラでは、この手の事件は珍しくない。高額年俸を稼いでいるスポーツ選手が強盗に遭うケースは多く、過去にもサッカー選手が母国で強盗に遭って金品を巻き上げられた上に殺されたことがあった。
2.友人も被害に
ベネズエラでは、友人も強盗被害に。
街でナンパした女の子と夜にバーへ飲みに行った帰りに強盗に遭い、現金とスマホを奪われてしまった。
3.役人も腐敗しているベネズエラ
治安の悪い国は、犯罪者が多いだけでなく取り締まるべき警察や行政も腐敗している。
自分もアフリカやインドで何度も、言いがかりをつけて市民から賄賂をむしりとろうとするシーンを目撃した。
↑ ツタンカーメン王の墓でも「賄賂くれくれ攻勢」に遭った。
そんな治安の悪さにも関わらず、物価が安くわずかな金で豪遊できるベネズエラには、多くのバックパッカーが訪れる。
そして、そんな訪れた旅行者たちはいきなりベネズエラの洗礼を受ける。
入国管理官は入国希望者が金を持っている(と思われている)日本人と見ると、高額な賄賂を要求してくる。その額は300ドル(3万円程度)を超えることもあり、とにかく法外だ。
高額紙幣を靴の中に隠しても、念入りな身体検査ですぐにバレてしまう。
「どうやってお金を巻き上げられずにベネズエラに入国するか」
は中南米を旅するバックパッカーの中では、メジャーな話題になっていたほど。
その熱意を少しでも犯罪抑止に努めてほしい。
中南米を始め、治安が不安な国に行く際には犯罪と腐敗した行政、十分に用心するべきだろう。
タンザニアの官僚と知り合いに ~アフリカ旅行記⑮~
ダルエスサラームに到着した前回 ↓
1. ガッカリサファリ
「アフリカに来たんだからサファリくらい行かなきゃ」
特段サファリに興味があるわけでもなかったが、そんな強迫観念にも似た思いを抱きつつ、ダル・エス・サラームの市内から日帰りで行けるサファリツアーに参加した。
お値段は日本円にて約12000円ほど。
途中の村
ダルエスサラーム市内から車で2時間程度行ったところで、サファリを楽しめる国立公園に到着するが、あいにくの天気。
動物、少ない・・・
結局見られたのはキリンくらいで、サイやライオンなどのメインどころは一切見られず。キリンは意外と足が速いということを知ったのが唯一の収穫。
肉食動物などを観たいならこうした「ハズレ」の日があるのを見越して、数日間はキャンプを張らなければならなかったのだろう。
正直サファリに対する気合が全く足りてなかった。
2.タンザニア官僚からおもてなし
夜はまさかのタンザニア官僚の家へお呼ばれ。
先輩が大学の友人づてに連絡をとって、約束をとりつけていた。
遠いアフリカの地でできた、まさかの人脈だ。つくづくすごいお人だと思う。
奥さんから手料理をごちそうになった。
写真左上の肉まんみたいなのが、こちらの主食「シーマ」。トウモロコシをこねた物で、ご飯と並んでアフリカの食卓ではよく出てくる。
手でちぎって、肉や豆を煮込んだスープと一緒に食すのだが、最後まで今一つ馴染めなかった。
ビールもごちそうになったのだが、まさかのこのタイミングで体調不良に。
せっかくご馳走してくれたのに、味が全然わからない・・・
ここまで緊張の連続で、疲れが溜まっていたからかもしれない。
それでもせっかくのご厚意で頂けるので、そこそこの量は飲んだ。
結局この後二日ほど寝込む羽目になってしまった・・・
3.タンザニアからザンビアへ行く鉄道「タンザン鉄道」
タンザニアでの滞在を終え、近日中に隣国ザンビアへ行くことに。
タンザニアのダル・エス・サラームからザンビアまでは「タンザン鉄道」という電車が走っており、約48時間で到着する。丸二日という、なかなかの長旅だ。
この電車は満席になることも多い上に、週3本しか走っていない。
1度逃すと、既にやることが尽きたダル・エス・サラームでの滞在が伸びることになるというなかなかハードな状況だ。
しかもこの電車は1等席のチケットがなかなか取れず、しばしば満席になるのだとか。48時間も乗るのだからせめて1等車で行きたいところ。
ただ、こちらにはタンザニア官僚が付いている。
相談したところ、快く1等席を確保してくれた。食事をごちそうになっただけでなく列車のチケットまで。何から何までお世話になりっぱなしで、本当にありがたかった。
タンザニアに着いてから色々と順調すぎて怖いくらいだ。
アフリカ三大危険都市、ダル・エス・サラームもダッチワイフと一緒なら怖くない ~アフリカ旅行記⑭~
↓ 前回。アフリカとダッチワイフ、ここまで相性がよいとは・・・
1.アフリカ三大危険都市、ダル・エス・サラームへ
ザンジバル島を離れ、フェリーでタンザニアの首都、「ダル・エス・サラーム」へ向かう。
↑ 1等席は待合室も豪華。ダッチワイフのしずかちゃんもリラックスした様子
豪華なフェリー。本当にここがアフリカだということを忘れそうになる。
船は遅延もなく、ダル・エス・サラームの港に到着。
下船時にパスポートチェックをされるのは、タンザニアとザンジバルが互いが「別の国」という意識があるからかもしれない。
実は今回のアフリカ旅に出発する前から恐怖を感じていた都市の1つが、このダル・エス・サラームだった。この街は「アフリカ三大危険都市」として、南アフリカのヨハネスブルグ・ケニアのナイロビと並んで恐れられている。
かつてはヨハネスブルグがアフリカ1危険だったのだが、南アフリカワールドカップで強盗を一斉摘発してからは、ダルエスサラームに強盗が稼ぎ場所を変えてきたという噂も。強盗にもトレンドがあるらしい。
今まで「危険地帯」とされる都市に行ったことはなかっただけに、緊張した面持ちでフェリーを降りる。
2.ダッチワイフが再び活躍
「降り立った瞬間から強盗に遭うんじゃないか」
びくびくしながら、危険都市での第1歩を踏み出す。
しかし、ここでもダッチワイフの魔力は健在。
ザンジバルの住民同様、
「彼女はお前のワイフか?」
「その子を俺にくれよ」
と陽気に話しかけてくる男はいても、
謎の東洋人+ダッチワイフを強盗しようとする猛者はいなかった。
ダッチワイフまじ有能
ダッチワイフがいなかったとしても(普通は持って行かない)おそらく、昼間は強盗も現れないとは思う。
しかし、本来なら心理的にアウェーにならざるをえないアフリカにおいて、「ダッチワイフ」という得体の知れない物を先制パンチの如く見せつけることは非常に有効だ。
「場の雰囲気を支配している」
ような感覚を持つことで、不安は掻き消えた。
「アフリカ旅行にはダッチワイフ持っていくべき」
後日、ダッチワイフを持ってきた先輩が放った言葉だが、本当にその通りだと思う。
3.おしゃれなカフェも多数!Wi-Fi環境は日本以上
「アフリカ=ジャングル」
「アフリカ=貧しい」
出発前にアフリカに対して抱いていた、偏見にだらけのイメージだ。
しかしダル・エス・サラーム市内には高層ビルが立ち並び、街中にはおしゃれなカフェもたくさんある。
カフェにも入ってみたが、Wi-Fi環境や1席当たりの電源数なんて東京よりいいんじゃないだろうか。
都市部においては、ユニセフのCMで流れていたようなワクチンが足りなくて死にそうな子供なんて皆無だし、むしろ心配なのは産業による環境破壊の方だ。
もちろんタンザニア全体を見渡せば薬や食料が行き渡らない地方もあるのかもしれない。しかし日本のテレビ番組は視聴者を驚かせるために、あえてアフリカの貧しい一面だけを切り取って報道しているような気がする。
4.夜はやっぱり怖い
「なんだ、アフリカ余裕じゃねえか!」
出発前は生きて帰れるか心配するくらいびびっていたアフリカだが、徐々に警戒心が薄れてきた。
「危険都市、ダルエスサラームでもこの程度か」
油断すら生まれてきたが、夜になると雰囲気が一変する。
暗闇の中から黒人たちがニヤニヤと笑いながら明らかにこちらを見ている。
まるで我々を「品定め」するように。
「これ、やばいやつだ」
今まで感じたことのない空気だった。
おそらく人気のない路地裏なんか行ったら確実に強盗に遭うと思う。
タクシーの運転手も無言でニヤニヤしながら手招きしてくるのが本当に怖い。
乗ったら最後、身ぐるみ剥がされて捨てられかねない。
この直感を大事にして、夜はホテルの中にこもることにした。
ちなみに先輩は外に出て、ATMでお金をおろそうとしたのだが、周囲の異様な雰囲気を感じてやめたそう。
やはり危険都市は伊達じゃない。
夜間は絶対に出歩いてはいけないと心に誓った。
アフリカはダッチワイフと歩けば安全 ~アフリカ旅行記⑬~
コンドームを配り始めたら一瞬で終わった前回
アフリカで分かったこと:ダッチワイフは人を笑顔にする
「あ、忘れてた」
突如先輩がおもむろにバックパックの中から何かを取り出す。
ビニール製の・・・ ダッチワイフを。
およそアフリカ旅行には似つかわしくない持ち物だが、この人にとってはこれが普通である。
しぼんだダッチワイフに空気を入れると、みるみるうちに人型へ変化していく。
治安面に若干の不安を覚えていたアフリカ旅行に、愉快な仲間が加わった。
↑ 先輩とダッチワイフ。そして見て見ぬふりをするアフリカ人
アフリカではただでさえ珍しい東洋人のコンビに、得体の知れない人形。当然ながら好奇の視線の集中砲火に遭う。
「ヘイヘイ、なんだいその人形は?」
とアフリカらしく陽気に絡んでくる人もいれば、一瞬向けるだけで目を逸らす人も。
さまざまな反応が見られた。
「こいつらはただ者じゃない」
良くも悪くも強烈な印象を与えたダッチワイフは、その場の空気を支配していたと言っても過言ではない。
ダッチワイフと一緒ならだれでも人気者に!最強のコミュニケーションツールだ
↑ アフリカで何度となく食べた食事。白米+豆の煮込み。美味しくもまずくもない
ザンジバルナイト
ザンジバルは本当にアフリカとは思えないほど平和だ。
夜に出歩いても、襲われる気配が全くない。治安が悪い街だと貧しそうな身なりの人間がうろついていて、まるでこちらを品定めするような視線で見てくるのだが、この街にはそんな気配が感じられない。
↑ ザンジバルの夜市
バーベキューうまい
みんなどことなく裕福だし、強盗する必要もないのかもしれない。
逆に海を渡ったタンザニア本土には貧しい人も多く、そこそこ治安が悪い。
ザンジバルの人からは「俺たちはザンジバル人だ!タンザニア人と一緒にするな」
という意識を強く感じるが、一緒にされたくないのも分かる。
この日の宿。1人20ドルとそこそこ高い。アフリカは食費や物価は安いのに、総じてホテルが高い。しかも東南アジアや南米と違ってドミトリーが少ないので、ツインタイプばかりで1人だと割高なのもネック。
また、タンザニアに限らず、アフリカではホテルなどでUSドルによる支払いを求められることが多い。自国の通貨はいつ下落したり無価値になったりするか分からないという不信感があるのだろう。
ホテルのベッドには基本的に蚊帳がある。マラリア怖い・・・
エジプトが嘘だったかのように、平和に終わったザンジバル。
これから続くそこそこ過酷なアフリカ旅の前に、小休止できた。
コンドーム配り@ザンジバル島 ~アフリカ旅行記⑫~
最後までトラブル続きだったカイロ最終日 ↓
1.ザンジバル島に到着
元々は「ザンジバル王国」であったザンジバル諸島。タンザニアから強い自治権を与えられていて、もはや別の国のよう。
雰囲気もアフリカらしくないリゾート地で、アフリカ大陸を本格的に縦断する前の小休止といったところか。
治安も良く、豊かな人も多いザンジバル島だが、かつては奴隷貿易の拠点だった。
街中には、無念のうちに亡くなった奴隷を偲ぶ石碑が建てられている。
奴隷収容所跡
2.コンドーム配り開始!
奴隷収容所跡の観光はそこそこに、今回の旅の目的であるコンドーム配りを開始する。
某大手コンドームメーカー、O社製のコンドームの良さを広めてくれよう。
そしていざ配り始めると、成果は予想以上だった。
「フリーコンドーム!」
右手に持ったコンドームを高く掲げると、
即座に若い黒人男性が群がってくる。
「俺にもくれ!」
「もう1個だ!」
皆次々に手を伸ばしてくる。
避妊への意識が高いのか、それとも「貰える物は貰っとこう」の精神なのか。
予定の30個はわずか3分で配り終わってしまった。
早すぎて写真を撮る暇もなかった・・・
暇なので、筆ペンで漢字の名前を書いてあげたら大喜び