タンザニアの官僚と知り合いに ~アフリカ旅行記⑮~
ダルエスサラームに到着した前回 ↓
1. ガッカリサファリ
「アフリカに来たんだからサファリくらい行かなきゃ」
特段サファリに興味があるわけでもなかったが、そんな強迫観念にも似た思いを抱きつつ、ダル・エス・サラームの市内から日帰りで行けるサファリツアーに参加した。
お値段は日本円にて約12000円ほど。
途中の村
ダルエスサラーム市内から車で2時間程度行ったところで、サファリを楽しめる国立公園に到着するが、あいにくの天気。
動物、少ない・・・
結局見られたのはキリンくらいで、サイやライオンなどのメインどころは一切見られず。キリンは意外と足が速いということを知ったのが唯一の収穫。
肉食動物などを観たいならこうした「ハズレ」の日があるのを見越して、数日間はキャンプを張らなければならなかったのだろう。
正直サファリに対する気合が全く足りてなかった。
2.タンザニア官僚からおもてなし
夜はまさかのタンザニア官僚の家へお呼ばれ。
先輩が大学の友人づてに連絡をとって、約束をとりつけていた。
遠いアフリカの地でできた、まさかの人脈だ。つくづくすごいお人だと思う。
奥さんから手料理をごちそうになった。
写真左上の肉まんみたいなのが、こちらの主食「シーマ」。トウモロコシをこねた物で、ご飯と並んでアフリカの食卓ではよく出てくる。
手でちぎって、肉や豆を煮込んだスープと一緒に食すのだが、最後まで今一つ馴染めなかった。
ビールもごちそうになったのだが、まさかのこのタイミングで体調不良に。
せっかくご馳走してくれたのに、味が全然わからない・・・
ここまで緊張の連続で、疲れが溜まっていたからかもしれない。
それでもせっかくのご厚意で頂けるので、そこそこの量は飲んだ。
結局この後二日ほど寝込む羽目になってしまった・・・
3.タンザニアからザンビアへ行く鉄道「タンザン鉄道」
タンザニアでの滞在を終え、近日中に隣国ザンビアへ行くことに。
タンザニアのダル・エス・サラームからザンビアまでは「タンザン鉄道」という電車が走っており、約48時間で到着する。丸二日という、なかなかの長旅だ。
この電車は満席になることも多い上に、週3本しか走っていない。
1度逃すと、既にやることが尽きたダル・エス・サラームでの滞在が伸びることになるというなかなかハードな状況だ。
しかもこの電車は1等席のチケットがなかなか取れず、しばしば満席になるのだとか。48時間も乗るのだからせめて1等車で行きたいところ。
ただ、こちらにはタンザニア官僚が付いている。
相談したところ、快く1等席を確保してくれた。食事をごちそうになっただけでなく列車のチケットまで。何から何までお世話になりっぱなしで、本当にありがたかった。
タンザニアに着いてから色々と順調すぎて怖いくらいだ。
アフリカ三大危険都市、ダル・エス・サラームもダッチワイフと一緒なら怖くない ~アフリカ旅行記⑭~
↓ 前回。アフリカとダッチワイフ、ここまで相性がよいとは・・・
1.アフリカ三大危険都市、ダル・エス・サラームへ
ザンジバル島を離れ、フェリーでタンザニアの首都、「ダル・エス・サラーム」へ向かう。
↑ 1等席は待合室も豪華。ダッチワイフのしずかちゃんもリラックスした様子
豪華なフェリー。本当にここがアフリカだということを忘れそうになる。
船は遅延もなく、ダル・エス・サラームの港に到着。
下船時にパスポートチェックをされるのは、タンザニアとザンジバルが互いが「別の国」という意識があるからかもしれない。
実は今回のアフリカ旅に出発する前から恐怖を感じていた都市の1つが、このダル・エス・サラームだった。この街は「アフリカ三大危険都市」として、南アフリカのヨハネスブルグ・ケニアのナイロビと並んで恐れられている。
かつてはヨハネスブルグがアフリカ1危険だったのだが、南アフリカワールドカップで強盗を一斉摘発してからは、ダルエスサラームに強盗が稼ぎ場所を変えてきたという噂も。強盗にもトレンドがあるらしい。
今まで「危険地帯」とされる都市に行ったことはなかっただけに、緊張した面持ちでフェリーを降りる。
2.ダッチワイフが再び活躍
「降り立った瞬間から強盗に遭うんじゃないか」
びくびくしながら、危険都市での第1歩を踏み出す。
しかし、ここでもダッチワイフの魔力は健在。
ザンジバルの住民同様、
「彼女はお前のワイフか?」
「その子を俺にくれよ」
と陽気に話しかけてくる男はいても、
謎の東洋人+ダッチワイフを強盗しようとする猛者はいなかった。
ダッチワイフまじ有能
ダッチワイフがいなかったとしても(普通は持って行かない)おそらく、昼間は強盗も現れないとは思う。
しかし、本来なら心理的にアウェーにならざるをえないアフリカにおいて、「ダッチワイフ」という得体の知れない物を先制パンチの如く見せつけることは非常に有効だ。
「場の雰囲気を支配している」
ような感覚を持つことで、不安は掻き消えた。
「アフリカ旅行にはダッチワイフ持っていくべき」
後日、ダッチワイフを持ってきた先輩が放った言葉だが、本当にその通りだと思う。
3.おしゃれなカフェも多数!Wi-Fi環境は日本以上
「アフリカ=ジャングル」
「アフリカ=貧しい」
出発前にアフリカに対して抱いていた、偏見にだらけのイメージだ。
しかしダル・エス・サラーム市内には高層ビルが立ち並び、街中にはおしゃれなカフェもたくさんある。
カフェにも入ってみたが、Wi-Fi環境や1席当たりの電源数なんて東京よりいいんじゃないだろうか。
都市部においては、ユニセフのCMで流れていたようなワクチンが足りなくて死にそうな子供なんて皆無だし、むしろ心配なのは産業による環境破壊の方だ。
もちろんタンザニア全体を見渡せば薬や食料が行き渡らない地方もあるのかもしれない。しかし日本のテレビ番組は視聴者を驚かせるために、あえてアフリカの貧しい一面だけを切り取って報道しているような気がする。
4.夜はやっぱり怖い
「なんだ、アフリカ余裕じゃねえか!」
出発前は生きて帰れるか心配するくらいびびっていたアフリカだが、徐々に警戒心が薄れてきた。
「危険都市、ダルエスサラームでもこの程度か」
油断すら生まれてきたが、夜になると雰囲気が一変する。
暗闇の中から黒人たちがニヤニヤと笑いながら明らかにこちらを見ている。
まるで我々を「品定め」するように。
「これ、やばいやつだ」
今まで感じたことのない空気だった。
おそらく人気のない路地裏なんか行ったら確実に強盗に遭うと思う。
タクシーの運転手も無言でニヤニヤしながら手招きしてくるのが本当に怖い。
乗ったら最後、身ぐるみ剥がされて捨てられかねない。
この直感を大事にして、夜はホテルの中にこもることにした。
ちなみに先輩は外に出て、ATMでお金をおろそうとしたのだが、周囲の異様な雰囲気を感じてやめたそう。
やはり危険都市は伊達じゃない。
夜間は絶対に出歩いてはいけないと心に誓った。
アフリカはダッチワイフと歩けば安全 ~アフリカ旅行記⑬~
コンドームを配り始めたら一瞬で終わった前回
アフリカで分かったこと:ダッチワイフは人を笑顔にする
「あ、忘れてた」
突如先輩がおもむろにバックパックの中から何かを取り出す。
ビニール製の・・・ ダッチワイフを。
およそアフリカ旅行には似つかわしくない持ち物だが、この人にとってはこれが普通である。
しぼんだダッチワイフに空気を入れると、みるみるうちに人型へ変化していく。
治安面に若干の不安を覚えていたアフリカ旅行に、愉快な仲間が加わった。
↑ 先輩とダッチワイフ。そして見て見ぬふりをするアフリカ人
アフリカではただでさえ珍しい東洋人のコンビに、得体の知れない人形。当然ながら好奇の視線の集中砲火に遭う。
「ヘイヘイ、なんだいその人形は?」
とアフリカらしく陽気に絡んでくる人もいれば、一瞬向けるだけで目を逸らす人も。
さまざまな反応が見られた。
「こいつらはただ者じゃない」
良くも悪くも強烈な印象を与えたダッチワイフは、その場の空気を支配していたと言っても過言ではない。
ダッチワイフと一緒ならだれでも人気者に!最強のコミュニケーションツールだ
↑ アフリカで何度となく食べた食事。白米+豆の煮込み。美味しくもまずくもない
ザンジバルナイト
ザンジバルは本当にアフリカとは思えないほど平和だ。
夜に出歩いても、襲われる気配が全くない。治安が悪い街だと貧しそうな身なりの人間がうろついていて、まるでこちらを品定めするような視線で見てくるのだが、この街にはそんな気配が感じられない。
↑ ザンジバルの夜市
バーベキューうまい
みんなどことなく裕福だし、強盗する必要もないのかもしれない。
逆に海を渡ったタンザニア本土には貧しい人も多く、そこそこ治安が悪い。
ザンジバルの人からは「俺たちはザンジバル人だ!タンザニア人と一緒にするな」
という意識を強く感じるが、一緒にされたくないのも分かる。
この日の宿。1人20ドルとそこそこ高い。アフリカは食費や物価は安いのに、総じてホテルが高い。しかも東南アジアや南米と違ってドミトリーが少ないので、ツインタイプばかりで1人だと割高なのもネック。
また、タンザニアに限らず、アフリカではホテルなどでUSドルによる支払いを求められることが多い。自国の通貨はいつ下落したり無価値になったりするか分からないという不信感があるのだろう。
ホテルのベッドには基本的に蚊帳がある。マラリア怖い・・・
エジプトが嘘だったかのように、平和に終わったザンジバル。
これから続くそこそこ過酷なアフリカ旅の前に、小休止できた。
コンドーム配り@ザンジバル島 ~アフリカ旅行記⑫~
最後までトラブル続きだったカイロ最終日 ↓
1.ザンジバル島に到着
元々は「ザンジバル王国」であったザンジバル諸島。タンザニアから強い自治権を与えられていて、もはや別の国のよう。
雰囲気もアフリカらしくないリゾート地で、アフリカ大陸を本格的に縦断する前の小休止といったところか。
治安も良く、豊かな人も多いザンジバル島だが、かつては奴隷貿易の拠点だった。
街中には、無念のうちに亡くなった奴隷を偲ぶ石碑が建てられている。
奴隷収容所跡
2.コンドーム配り開始!
奴隷収容所跡の観光はそこそこに、今回の旅の目的であるコンドーム配りを開始する。
某大手コンドームメーカー、O社製のコンドームの良さを広めてくれよう。
そしていざ配り始めると、成果は予想以上だった。
「フリーコンドーム!」
右手に持ったコンドームを高く掲げると、
即座に若い黒人男性が群がってくる。
「俺にもくれ!」
「もう1個だ!」
皆次々に手を伸ばしてくる。
避妊への意識が高いのか、それとも「貰える物は貰っとこう」の精神なのか。
予定の30個はわずか3分で配り終わってしまった。
早すぎて写真を撮る暇もなかった・・・
暇なので、筆ペンで漢字の名前を書いてあげたら大喜び
カイロでかくれんぼ?エジプトは最後までトラブル続き ~アフリカ旅行記⑪~
ツタンカーメン王の墓で係員の賄賂攻勢にさらされた前回 ↓
いよいよアフリカ旅行、エジプト編も最終日。
翌日の夕方に、カイロ空港からタンザニアのザンジバル島へと出発するので、
夜行バスで午前中にカイロに戻ってきた。
あとは適当に街中をぶらついて空港に向かうだけなのだが、
まさか最後の最後にアクシデントが起きるとは。
1.出発当日、カイロで地下鉄に
出発前、最後においしいコシャリ(エジプトの郷土料理)を食べられる店でも探そうと、カイロの地下鉄に乗っている時にアクシデントは起きた。
2.壮大なかくれんぼの幕開け
カイロの地下鉄は、朝から晩までいつも混んでいる。
たしか滞在中は一度も座れなかったはずだ。
この日の電車もいつも通りの満員で、車内で先輩と分断されてしまう。
「まあ、あと3駅くらいだし、別にいいか」
と思ってその時は気にも留めなかったが、これが悲劇の始まりだった…
降りる予定の駅が近づいてきたので、先輩に「降りますよ」と声をかける。
しかし、返答はない。周囲を見回しても先輩の姿が見当たらない。
おかしい。まさか。
明らかに動揺している東洋人を見かねて、乗客のおっちゃんが話しかけてくる。
「お前の友達なら前の駅で降りたぞ」
その瞬間、頭の中は真っ白だ。
はぐれた。
しかも通信手段はない。
広大なカイロ市内を舞台にした、かくれんぼの幕開けである。
しかもこの日がザンジバル行きの飛行機出発日で、チケットは先輩が持っている(Eチケットを先輩が2名分予約している)。
制限時間は5時間、飛行機に乗り遅れたらカイロに置き去り&航空券代パー
という今までにない緊張感で行われるかくれんぼだ。
ショックを受けて打ちひしがれていても、事態は好転しない。
とにかく何か行動を起こさねば。人間、極限まで追い詰められると意外と冷静になるらしい。
最初は先輩が降りたと思われる駅へ行ったが姿はなし。
先輩が降りたと思われる駅も探すが、ダメ。見当たらない。
この瞬間、捜索範囲は地下鉄という限られた範囲からカイロ市内まで広がった。
3.思いつく限りの場所を探すも…
ここからは先輩の行動を想像して動くしかない。
地下鉄の各駅をしらみつぶしに探した後は、初日に泊まった日本人宿へ行くも、成果はなし。
日本人宿ではWi-Fiがあるので、一応先輩のMessengerに連絡してみる。しかし当然向こうも通信手段がないので、反応なし。
刻一刻と時間が過ぎていく。
4.腹が減っては戦が出来ぬ
考えても考えても、先輩の行き先は分からない。
焦りは増していくが、こんな時でも腹は減る。
一刻を争う事態にも関わらず、足は自然と中心街のコシャリチェーン店へ。
完全な現実逃避である。
コシャリのチェーン店。味も良く、値段もお手頃。なにより、エジプト人特有の「支払いで揉める」ことがないのが素晴らしい。
エジプトの国民食、コシャリ。ご飯・パスタ・マカロニ・豆を混ぜて、フライドオニオンとトマトソースをかけた料理で、日本人の口にも合う。エジプトにいる間中、コシャリばかり食べていた。
5.最後は勘で空港へ
悠長に食事をしている間も、時間は過ぎる。
残り2時間となり、最後は勘で空港へ向かうことに。
先輩も同じ考えで空港へ向かってくれていたらいいが、違ったら今度こそ完全にアウトだ。
祈るような気持ちで路上に泊まっているタクシーを呼び止め、空港までの値段交渉を始める。
ここまで切羽詰まっている状況なのに、無意識に値切りにいくのは自分でもびっくりする。
値段交渉が成立して乗り込むも、カイロ市内は大渋滞。
朝から晩までひっきりなしに渋滞するのがカイロの交通事情だ。
値切りなんかしてないで、さっさと乗ればよかったと後悔したが後の祭り。
5.究極の2択
予定よりも大幅に遅れて空港の近くに来たのだが、そこで運転手から予期せぬ質問が。
「どこのターミナルに行くんだ?」
またも凍りついた。
カイロのような大きな空港なのだから、ターミナルが複数あっても不思議ではない。
日本人宿に寄った時に調べておかなかったことを激しく後悔した。
ターミナル1or2
間違えたら間違いなく乗り遅れ&数万円の航空券が消し飛ぶ究極の2択だ。
国際空港なのだから、海外行きはターミナル1なのでは──いや、成田は海外行きでも2や3の場合がある。
以前、このパターンで賭けに敗れ、マレーシア行きの飛行機に乗りそびれた苦い過去を思い出す。
しかし長々と迷っている暇はない。意を決して運転手に行き先を告げる。
「ターミナル1」
6.再会
結果的に、究極の2択にも勝利し、先輩にも会えたし飛行機にも乗れた。
ちなみにチェックイン時間はとっくに過ぎていたのだが、係員に頼み込んで乗せてもらった。大学で単位をもぎ取る時に培った技術が遠いエジプトで役立つとは。
先輩は降りるべき駅を勘違いして降りてしまい、慌ててこちらを探すも全て行き違いになっていたとのこと。
色々な勘違いやリサーチ不によって、本来する必要のない捜索劇やギャンブルをすることになってしまった。
この数時間でだいぶ寿命が縮んだ気がする。
これで晴れてエジプトを後にする訳だが、正直エジプトの思い出はピラミッドやツタンカーメンの墓ではなく、
「ラクダのホモガキ」
「ツタンカーメンの墓の賄賂おやじ」
「カイロかくれんぼ」
「タクシー車内で究極の二択」
アクシデントに埋め尽くされてしまった。
もはやこれらの印象が強すぎて、ピラミッドの内部とかほとんど覚えていない・・・
(ムダに)心身共ににすり減ったエジプト編を終え、
次回より、本格的にアフリカ旅行スタート。
ツタンカーメン王の前で恥を知れ ~アフリカ旅行記⑩~
ルクソールに到着し、 カルナック神殿やガッカリミイラ博物館を見て回った前回。
1.王家の谷へ
朝9時頃に起きて、渡し舟で死の谷方面へ向かう。
死者の都には、わずか数分で到着。
いざ、王家の谷へ向かう。
チャリで
タクシーを使うのが一般的な王家の谷へのアクセス手段だが、節約のために我々が選択したのはレンタサイクル。
海外バックパックの旅は、いつもこんなもの。ユーロやUSドルならば余分におろせるので、そこそこ余裕を持てる。しかし万が一エジプト通貨(エジプトポンド)など余らせようものなら、出国した瞬間紙くず同然だ。ゆえに、そうした2度と来ない可能性が高い国の通貨はギリギリしかおろさないのでいつも財政はひっ迫する。
というか、たとえお金があったとしてもラクダ乗りの一件もあるので、タクシー運転手と交渉などしたくないが。
2.途中で昼食
オフラインmapアプリ「maps.me」が指し示すままに、ひたすら乾いた熱風が吹き荒れる中を進む。
2時間ほど漕ぎ続けて手持ちのミネラルウォーターが尽きそうになる頃、食事出来そうな店を発見したので休憩に。
もうランチの時間は終わってしまい、トマトとチーズ、パンしかないそう。しかし空腹と渇きの前にはどんな粗食もご馳走に変わる。
夢中でトマトをむさぼった。言葉も出なくなるほどうまい。
3.王家の谷に到着
2時間以上漕いで、ようやく王家の谷の入り口に到着。
「谷」というだけあって、本当に傾斜が多くてきつかった。
王家の谷には、古代王たちの墓が60以上も集中している。
その内、中に入って見学できるのは15か所程度だ。
墓には番号がふってある。
観覧料金も細分化されており、任意の墓3つで200ポンド(1200円ほど)となっている。そして、メインのツタンカーメンの墓に関しては別料金となっており、こちらは1つで200ポンドだ。
4.ツタンカーメン王の墓には魑魅魍魎
一通り王家の谷の墓を見終わり、いよいよツタンカーメン王とご対面だ。
若くして即位し、わずかな即位期間のうちに死去したツタンカーメン王。
いまだに歴史的な謎が多く、詳しいことはわかっていない。まさにミステリーである。
しかし、再びそんな高揚感に水を差すやつがいる。
係員だ。
ツタンカーメン王の墓は撮影が禁止となっている。当然、ルールに従ってスマホもオフににしてあるのだが、
「写真撮らなくていいのか?」
といやらしい笑顔を浮かべながら撮影を勧めてくる。
もちろん目的は賄賂である。しかもこの係員、相当にしつこい。
何度断っても、「いいのか?本当に撮影しなくていいのか?」と撮影を勧めてくる。
うるせえな。静かに見させてくれよ。
結局、今回も静かに遺跡を堪能することはできなかった。エジプトこんなんばっかり。
ピラミッドに続いて、ここでも行政の人間が不正を働いているとは。ツタンカーメン王もあの世で嘆いているだろう。
カイロからルクソールへ!魅惑のカルナック神殿 ~アフリカ旅行記⑨~
↓ 野獣と化した少年から怒涛のセクハラ攻勢を(先輩が)受けた前回
ピラミッドでの怒涛のセクハラ攻勢が最大となってしまったカイロを後にして、有名な「ツタンカーメンの墓」があるルクソールへ向かう。
1.カイロからルクソールに向かう「護送船団」
カイロから王家の墓がある街、ルクソールへは夜行バスか夜行列車で向かうのだが、今回はバスを選択する。
驚いたのは、バス1台を数台の軍用車両がバスを警護するという、さながら「護送船団」のようになっていることだ。
実はこの当時(2016年頃~2018年現在)エジプトの治安は全体的に悪いため、観光客が多く集まるカイロ・ルクソール・アスワンなどの都市の道中には、テロリストや強盗が出現する。そのため、街同士を結ぶ定期バスには、多くの警護車両が同行するというわけだ。
2.ルクソール街中の治安はバッチリ
ぐっすりと眠って、何の問題もなく翌朝にルクソールへ到着。
車と馬車が共存するルクソールの交通事情
町と町の間は治安が悪いが、ルクソール市内の治安は良い。
とうのも、街中には100mおきに軍人や警察官が哨戒に立っているので、テロリストや強盗も行動を起こしようがない。
何か事件が起きたというニュースが流れると、皆怖がってその国に行かなくなるが、実は直後の方が警備が厳重になって安全だったりする。
3.ガッカリなミイラ博物館
tripadviserによると、「ミイラ博物館」という博物館がルクソールにあるとのこと。
館内に本物のミイラが展示してあるのかとわくわくしながら入ものの、実際に展示されてたのは、ミイラの人形だけ。しかもショボい。
他はミイラの製法について展示してあるだけという、余程ミイラ研究に興味がなければすぐに飽きてしまう残念なコンテンツだった。
4.「生者の都」と「死の都」
ルクソールの街は、ナイル川を隔てて東側の「生者の都」と西側の「死の都」に分かれている。
主に人々が暮らしているのが東側の聖者の都で、西側の死者の都」には有名な王家の谷が。そして、その王家の谷の中に最も有名なツタンカーメンの墓がある。
5.カルナック神殿
生者の谷側で最大の見どころは、カルナック神殿。東西540m、南北600mの周壁で囲まれた壮大な神殿だ。
見事なまでの石柱建築
夜はライトアップされ、「光と音のショー」が開催される。
次回は王家の谷へ。